森友学園に関する財務省の公文書改ざん問題で、文書不開示とした国の決定を取り消すよう命じた大阪高裁判決を受け入れるよう、石破首相が指示したそうです。
この決定自体は支持できるものですが、加藤財務相が石破首相から指示されたと語る通りの道義的見地なのか、それとも長年の「宿敵」であった安倍元首相へのルサンチマンに端を発しているのか。
もちろん石破首相の本心はわかりませんし、公を損なう決定が取り消された事実の前には、細かく問われるものでも無いでしょう(もしその2つの感情が複雑に絡み合っていても、それは人間である以上普通の事です)。
しかし、決定の取り消しは、石破さんにしてみれば「決断」なのかもしれませんが、「高裁の判決を受け入れ上告を断念」という受け身的な形であるため、やっぱり「石破首相が〝楽しそう〟に自分の理想を追求している!」とは見えて来ないですね。
人が「楽しそう」な様子って、ニコニコしたりはしゃいだりといった表層ではなく(笑い転げてる狂人は「楽しそう」じゃないものね)、自分の真の思いに従って本気で物事に取り組んでいる様子に感じるものです。
石破首相が「楽しそう」に見えないのって、己の中にある本心とガッツリ向き合う事のできない欺瞞と、そこから生じるもどかしさによるものだと感じます。
キャンセル・カルチャーに狂騒している大衆からも、理想に向かって社会を変えようとしている「楽しそう」な様子も、本気度も感じられない。それは、自分の外部の「正しいとされている事」に寄りかかっているからに他なりません。
「楽しさ」はいつだって自分の中に存在するものなのに、「灯台下暗し」の極みのごとく見逃していて、前を向けば照らされる「先」への希望に気付かぬまま、足元の暗さに右往左往しているのが今の日本の姿なのかもしれないですね。
石破さん、やるなら「楽しそうに」旧弊を打ち払って!